loading...
#青いぜ五島列島
五島列島北部の小値賀島とその周辺にある大小17の島からなる小値賀町。
全島が西海国立公園に指定、また文化庁より重要文化的景観としても指定され、
日本の原風景が残る“日本で最も美しい村”。
海底火山の溶岩が流れて作り出したなだらかな地形と、実りをもたらす赤土の大地に恵まれ、
青い海に囲まれた小さい島ながらも豊かな風土の中で自然とともにある暮らしが息づく。
島の日常は旅人にとって特別な時間。
島の人たちの普通の暮らしをそのまま体験してもらうのが小値賀流のおもてなし。
そのシンプルな生活に取って代わるものはない。
「原点回帰のリゾートアイランド・小値賀」を体験しよう。
1
2
3
4
5
6
7
まじりっ気のない美しい海の“青”に、風になびく木々の“緑”、そして一面に広がる“赤”の砂浜。青い海といえば白い砂というイメージを覆す不思議なコントラストの海岸は、小値賀島が火山だったことを示す証拠。海底火山の噴火により流れ出た溶岩が、鉄分を多く含んでいたため冷え固まると同時に酸化して赤くなったもの。砂利をよく見ると、石化の後に火山ガスが抜けてできた細かい穴があり珊瑚の化石のよう。長い年月をかけ火山岩が粉砕され、今のおだやかな海岸線が出来上がったことがわかる。また高台にある赤浜海岸公園からは、上五島をも見渡す清々しいの光景の中で、独特な彩りが際立つ。静かな海岸だが、海底が急に深くなっていることと海底ケーブルが通っていて危険なため、遊泳は禁止。泳ぎたくなった時は、遠浅で真っ白な砂浜の「柿の浜海水浴場」へ。
築約250年の小田家の屋敷を町が譲り受け、一部新館を併設して開館。小田家は江戸時代初期に壱岐から小値賀に移住し、捕鯨、新田開発、養殖振興、廻船業や酒造業と多岐にわたる事業を営み、地域の経済的発展に貢献した名家。館内は、一時代を築いた小田家の歩みが紹介されているほか、町内の遺跡から出土した石器や土器、中世の大陸貿易に関する資料や当時持ち込まれた陶磁器、近世の捕鯨道具、茶道具、そして野崎島のキリシタン資料などが一挙に展示され、小値賀諸島の歴史的・地理的な位置づけをふまえて、大陸や日本本土との往来の経緯と文化形成を明かしている。島の風土や成り立ち、これまで辿ってきた歴史を知ることで、小値賀ののんびりとした暮らしや何気ない時間の中にも何か意味を感じる瞬間があれば、旅の感動もひとしお。
岩の裂け目に波が激しく出入りするうちに、入り込んだ石が回転しながらさらに深く穴を削り、自身も少しずつ磨かれ玉石になる。島の北東端の玉石鼻という岬には、深さ3m・口径2mの穴に、直径50cmにもなる玉石があり、大きな波がくると今も穴を掘り下げ続けていると言われている。国指定の天然記念物。地元では「玉石様」と呼ばれ、自然が長い時間をかけて作り出した美しく稀少な玉石は、信仰の対象にもなっている。海岸の手前には「玉石大明神」を祀る白い鳥居が建ち、整備された歩道の傍らにも小さな祠がある。また青い海を挟んだ向こう岸には、「五両ダキ」と呼ばれる崖の壮大な景観を遠目に見ることができる。火山でできたこの島に20数カ所あるといわれる噴火口のうちのひとつが、海水に浸食されてできたと言われている。
航海上の要衝に位置するため、遣唐使の航海安全を祈願して飛鳥時代に創建されたと伝わる神社。五島列島に所在する神社では最古の1つ。五島列島一帯で信仰されている航海安全を司る神様を祀っている。社殿から見ると、海に向かって石段を下りた岩場まで鳥居が並び、船舶を見守る形になっている。境内にはもう一つの参道があるが、この海側の鳥居を“一の鳥居”として拝殿に進んでいくのが正式な参道。遣唐使たちを乗せた船は目の前の海峡を渡って唐に向かったといわれているので、船上から神社に向かって航海の安全を祈ったであろう。またこの参道の延長線上には沖の神島神社があり、両社は海を隔てて互いに向かい合うようにして対を成している。本来は本宮の「辺津宮・地の神島」と「沖津宮・沖の神島」2つを合わせて「神島神社」という1つの神社。
2018年7月に世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産「野崎島の集落跡」。野首集落の信仰の深い17世帯の信者たちが、共同生活による貧しい暮らしを続けながら資金を蓄え、数年をかけて教会建設費用を捻出。1908年、鉄川与助の設計・施工による美しく本格的なレンガ造りの教会が小高い丘の上に完成した。島には3つ集落があったが戦後は過疎化が進み、最後まで残っていた野首集落も1971年ついに廃村となり無人島になった。役目を終え、人々の消えた集落に佇み続けた教会は一時期荒れ果てたが、1985年に小値賀町が全面改修。県指定の有形文化財、国の重要文化的景観にも選定され、かつてこの地で暮らし、信仰を守り続けた人々の深い祈りとその歴史的価値を今も後世に伝えている。見学は「おぢかアイランドツーリズム」への事前連絡が必要。
海に面した山の中腹の斜面に建ち、地の神島神社と対になる神社。社殿の背後には「王位石」と呼ばれる巨石が鳥居形に積み重なって鎮座する。高さ24m、幅12m、頂上テーブルは5m☓3mの広さ、およそ人の手によるものとは思えないが、自然のものとしてはあまりにも不自然。石の成り立ちは謎のまま、「かつては石の上で神楽が舞った」など多くの神秘的な伝説が伝わる。現在は野崎港から片道約6.5km、約2時間歩く山越えルートのみ。九州自然歩道と呼ばれる遊歩道があるが、この島の最後の住人として残っていた神官も島を離れ、無人島になって早10数年が経つ。荒廃は進み、立て看板も少なく管理が充分ではない。険しい山道での滑落や遭難の危険を防ぐため、現地をよく知るスタッフによるガイドツアーを利用しよう。
古き良き日本の美しさを残し、町全体の景観保全と文化継承に力を入れている小値賀。かつて栄光の時代に建てられ朽ちていく運命にあったいくつもの屋敷を修復。さらに現代の技術と工夫で快適さを加えながらも、美しい島の暮らしに見合うように趣向を凝らして改装され、今それぞれに新しい時を刻んでいる。6棟の「古民家ステイ」と1棟の「古民家ゲストハウス」は、1棟1組貸し切りの宿泊滞在施設。まるで自分の家や別荘のように、心ゆくまでリラックスして自由に島暮らしを体験できる。また風格ある屋敷を活用した「古民家レストラン藤松」は、島の恵みをふんだんに使った料理を楽しむことができる上質な空間。昔からある暮らしを尊重してこの先へと繋げてゆくこの島ならではの豊かな時間を、好みのスタイルの古民家で過ごしたい。
小値賀は、アメリカの民間教育団体PTPから、世界各地の中で最も満足度の高い場所として“世界一”の称号を2年連続で与えられている。決して便利ではない素朴で小さな島に、世界中から人々が訪れるのは、島の人たちのおもてなしと何気ない暮らしの中にある心温まる瞬間を求めているから。海に囲まれているのに魚屋はない。魚は自分で釣るか隣近所から頂いたり港で直接手に入れる物。野菜やお米もみんなで分け合ったり、物々交換も当たり前。思いやりと助け合いで成り立っているこの島の暮らしを体感してみると、自然と心が休まるのを感じる。人っていいな、生きるってこういうことなのかも、なんて思うはず。一般のご家庭で家族と同じように生活をする民泊で、豊かな自然と身近にあるものを大切に分かち合う小値賀の人々の魅力をたっぷり感じて、寛ぎの時間を過ごしてほしい。
なだらかな地形の小値賀では、島をじっくり体感できる自転車旅が断然オススメ。のんびりと散策してみると、小さな幸せがそこかしこに転がっているのを発見できる。気になるお店や路地を覗き、島ネコの居眠りにカメラを向け、島の人に引き止められて話をする。“牛に注意”の標識を見ながら進むと、草原でのんびり草を食む牛の姿も見える。また江戸時代に植林されたという450m一直線の松の並木道「姫の松原」は、古き良き時代の街道を行くように優雅で堂々とした気分を演出。青い海の上に白いアーチを描く「斑大橋」を駆け抜けて、気分爽快。斑島を一周する農道「夕やけロード」は、西海に浮かぶ島々の移り変わる景色を眺めて心和む。島の暮らしや風景、おだやかな空気に触れながら走れば、じわじわと高鳴る鼓動をひさしぶりに感じる。
自然とともに生きる静かな島の美しい夜明けに是非とも立ち会ってほしい。朝一番は特に空気が澄んでいて、漆黒の闇の中では重力の違う星にいるような気持ちさえする。そんな中、暗闇が少しずつ白み、迫り上がってきた光が地上に射す瞬間が訪れる。さっきまで周囲のすべてが静まり返っていたのも忘れて、光の粒がはしゃいであちこちを弾むようにしてきらめき、島全体が彩りをまとっていく。ひんやりとしていた体に浴びた光はうっすらと熱を帯びていて、神経をじわじわと繋いでいくような生命の息吹を感じる。生まれたばかりの世界に立ち会うようなこの感動。太陽の光が私たちにどれほどの喜びをもたらすかを今一度知ることになる、新鮮な1日のはじまり。